自己紹介してみた①
Akira Wells (仮名)です。
いい歳した三十路手前の男性ですが、自分の夢を追ってブラジル・サンパウロに移住してきました。
今日は私の自己紹介をしたいと思います。
「何の実績もないお前の話なんて聞きたくねーよ」
そう思う方も多いと思います。
けれども一方で
「怪しい」
「不思議な人」
「何している人?」
と聞かれることも少なくありません。
今までは話す必要もなく、自分のことをひた隠してきました。
しかしフォロワーが1000名を超え、ちょっとした影響力も無視できなくなってきた現状を踏まえ、私の短い人生をこの場で語ることにしました。
私のことに少しでも興味ある方は、続きを読んで下さい。
英語教育
高3。
進路を考え始める年頃。
例によって私も自分の将来の夢を漠然と考えていた。
私は英語学習が好きだったので、英語を集中的に学べる外国語科英語コースのある高校に進学。
海外の大学を目指して勉強していた。
だが今は進路相談の季節。
大学に行ったその先を見据えて、進路選びをする必要があった。
「英語が好きなんだから英語を使った仕事をしたらいいんじゃないか?」
父は言う。
自分は英語を通じて何がしたいのだろう。
考えた末、行き着いた答えが「教育」だった。
「教育」は他人(ひと)の人生を左右する。
「英語」を通して、他人の人生に感化を与えたい。
二十歳手前の少年が抱いた夢は「学校の先生になること」であった。
そこから海外大学への進路を変更し、日本の大学で教員免許の資格取得を目指した。
公務員
大学に無事入学。
英語教育を先行する傍ら、第二外国語としてスペイン語を専攻していた。
教員免許取得希望者は分かると思うが、大学に入ると教育学をはじめとする必修科目の授業をいくつか履修しなければならない。
そこでは現役の高校の校長先生の話が聞けたりする。
「先生になると土日も部活動のために出勤することがあります」
耳を疑った。
私は中高ともに趣味程度の部活動にしか参加していなかったから、土日の活動に参加したことがない。
けれども思い返してみれば、熱心な部活動は土日も活動していたじゃないか。
完全に盲点だった。
「私にとって学校の先生だけが人生の全てではない。
しかし四六時中仕事をしてしまえば職業が人生の全てになってしまうのは必然だろう」
そう恐れて、私は大学に入学したのもつかぬ間、公務員として学校の先生になることを諦めてしまった。
塾の先生
しかし私は、まだ夢を諦めきれなかった。
塾の先生になろうと思ったのだ。
塾の先生だと、昇進すればある程度経済的・時間的拘束から逃れられるだろうと踏んだ。
だから大学生の間は、大手の塾講師としてアルバイトした。
時給2500円で、待遇もそれなりに良かったと思う。
「ADHD(注意欠如・多動性障害)の生徒を担当してほしい」
塾長は言った。
「え…ADHDの生徒も授業を受けに来るんですか」
「いや正確に言うと『殆どの確率で』ADHDだ。
様子を見て間違いなく多動であるものの、親がそれを認めたくないパターン。
塾に入れて学力をどーにかしたがっているんだろう」
(それって親の都合じゃ…?)
と言いかけたが、当時新人であった私は
(考えすぎか)
とも思い、良い経験だと気持ちを切り替え、個別授業で彼女を受け入れることにした。
…
全然授業を受けない。
というか多動で全く集中できない。
どれくらい集中できないかというと、中1の2学期でABCが覚えられないのだ。
これは大問題であった。
彼女のせいではないが、少なくとも私には手の施しようがなかった。
…
「予定通りShe / He の動詞の変化型を教えてあげて下さい」
塾長からのアドバイスだ。
「アルファベットも書けない彼女には絶対理解できません。
頑張ってせめてアルファベットだけd…」
「もし彼女の親から『いい点数取れなかった』とクレームつけられたら責任取れないだろう?
『こちらは教えるべき単元をお教えしましたので、塾以外での学習を怠ったお子様に原因があります』と言うにはこれしかない。」
理屈としては理解できる。
しかしそこで彼女の都合は一切配慮されていない。
本来は彼女のための授業であるべきにもかかわらず…だ。
何が理由で彼女はここまで阻害されなきゃいけないのか?
「金」だ。
塾はあくまでも「株式会社」。
資本主義経済の中で、金の優先順は株式会社にとって非常に高い。
たとえそれが「教育」、つまり「生徒の人生」と比べられても、だ。
「全ての塾が悪いわけではない。
しかし株式会社の組織の一員としての教育活動には限度がある。」
そう結論づけた私は、塾のバイトを辞めた。
同時に私は大学に行く気すら失せてしまい、後に2年ほど留年することになってしまう。
私には夢がなくなってしまったのだ。
そんな時、私はある場所で運命的な出逢いを果たす。
絶望の淵にいた私の人生に、潤いを与えてくれたのが彼だった。
そう、彼の名は「ブラジル」である。
TO BE CONTENUED