自己紹介してみた③

(続き)

 

フリーランス

当時、私はSNSのプロフィールに「英語できます」と書いていた。

 

良い宣伝材料として使えたからである。

 

ある女性がその内容に惹かれたらしい。

 

「英語教えて下さい」と送ってきた。

 

当時はアウトロー真っ只中だったので、これをきっかけに女性と接触し、また一稼ぎしようと企んでいた。

 

しかしここであるアイデアを思いつく。

 

「待てよ。

 

本当に価値ある英語教室を展開できたら、アウトローをせず、好きな英語教育で生活していけるんじゃないだろうか。」

 

必死にカリキュラムを考えた。

 

既出の通り、大学では英語教育を専門としていたので、「なぜ日本人の多くが英語を話せないのか」ということを充分理解していた。

 

あとはそれを解決するための具体的且つ現実的な勉強法を形にするだけである。

 

「言い値で結構です。

 

この独自のカリキュラムで英語を教えさせて下さい。」

 

当日、SNSを通じて出逢った彼女への最後の一言である。

 

「1クラス1200円でお願い致します。」

 

こうして私はアウトローから足を洗い、フリーの英会話講師としてのキャリアを積むようになった。

 

 

 

英会話講師

せっかくの機会なので、英会話講師としての仕事内容を記そうと思う。

 

当時私は、最終的に時給1万円以上で英会話を教えていた。

 

業界としては破格である。

 

詐欺だと思われたくないので触りだけ話しておこう。

 

まずターゲットを絞ることにした。

 

「楽して英語を話したい」と考える顧客が狙いだ。

 

ここが重要で「楽して」ということは「楽できるならいくらでも対価を払う」ということだ。

 

そこに付加価値が生まれるはず。

 

なのでこのような謳い文句を掲げた。

 

「完全プライベート」

「オシャレなカフェで」

「日時・場所自由設定」

「単語・文法勉強いらずのあなただけのオリジナル教材」

「日本語を話すだけの授業で英語が話せる」

「これだけのサポートが揃っているので少々高値ですが絶対英語を話せるようになります」

 

これが功を奏して契約に次ぐ契約につながった。

 

英会話教育事業は成功し、その他2つの事業を小さいながら展開していくことになる。

 

(この話は別機会で。)

 

 

 

過ち

順調だった。

 

全てが順調だった。

 

独立して仕事なんてできるワケがないと思っていたが違った。

 

なんとか独立して仕事ができるようになったのだ。

 

このまま事業を拡大して、ブラジルに発とうと思っていた矢先、それは起こった。

 

私の失敗で、ある女性クライアントに裏稼業をさせてしまったのである。

 

やりきれなかった。

 

彼女が自由に選んだキャリアには違いなかったが、私は責任を感じずにはいられなかった。

 

「彼女の両親がここにいたとしてどう責任取るんだ?」

 

私は私に問うた。

 

答えは出なかった。

 

答えは出ぬまま、死ぬまでこの罪を背負って生きることを自覚した。

 

そしてそれまでの自身の過ち全てを反省し、私は俗世を捨て、出家することに決めたのであった。

 

 

 

長い2年間の始まりである。

 

 

 

TO BE CONTINUED...