自己紹介してみた②
(続き)
ブラジル
今思えばブラジルとの出逢いは必然だったのかもしれないが、当時の私からすればブラジルへの渡航は偶然であった。
私の母親は流通と消費者教育を通して、農家を支援するNPO活動を行っている。
母の知り合いが青年向けに、ブラジルで2週間の農業研修を行うことになった。
「行ってみる?」
母が一言。
ブラジルや南米には当時丸っきり興味がなかったのだが、
「海外に行ける」
という安価な気持ちだけで参加することにした。
そして私は「恋に落ちた」。
私はブラジルを好きな気持ちを表現する時、いつもこのように述べている。
食事、大自然、人柄…今になってブラジルの魅力をようやく語れるが、それは後付け。
実はブラジルに到着した瞬間、何の体験もしていないのに、ブラジルが好きになってしまったのだ。
「ここで死にたい」
と直感で思ったほどである。
そしてその気持ちは今も色褪せない。
それどころか日に日に濃くなっているようにも思う。
兎にも角にもはじめての私のブラジル旅行の感想は
「息を吸っているだけで幸せになれる場所」
であった。
ブラジルは当時、将来に不安を抱えている私に一縷の希望の光を与えてくれたのだ。
私の夢は「ブラジルで死ぬ」こと。
そしてその夢を成し遂げるための挑戦が始まった。
アルバイト
とは言っても当時留年1年生。
しかも勉強にも精が出ないもんだから、遮二無二アルバイトに勤しんだ。
渋谷の漫画喫茶である。
時給850円。
最底辺のアルバイトで休みなく働いた。
業務内容はレジと清掃。
至って簡単なだけに、サボりまくっていたのをよく覚えている。
仕事自体はつまらないから不真面目だし昇格もしない。
そこで私はあることに気づく。
「あれ?オレ1時間働いて850円稼いでいるんだよな。
一見、労働力と通貨が対価交換されているように思うけど本質はそこじゃない。
オレは1時間を払って、850円を得ているということになる。
つまりオレの1時間の価値は850円ということになる。
『オレの1時間の価値は850円です』
と自分で決める分には誰も文句を言わないが、この価値を決めたのは上司であり、会社であり、他人だ。
オレはなぜ価値を強いられながら生きなきゃならないんだろう。
オレの1時間はブラジルで過ごすためにあるのに。」
大した仕事もせず、口だけは達者なものである。
ともかく私の中に「時は金なり」理論が構築されてしまった以上、雇われて仕事することそのものがアホ臭く思えて仕方がなかった。
何のアテもないまま、私は半年で仕事を辞めた。
というか雇用されることに興味がなくなったのである。
アウトロー
大学行きたくない。
仕事したくない。
何もしたくない。
でもブラジルは行きたい。
全くもってどーしようもない私は、ついに学生ニートになってしまった。
親不孝もいいところである。
文字通り、何もしない。
だが何もしないワケにもいかなかった。
「自分で生活する分は自分で稼げ」
と言われていたからである。
だがしかし、どーしても雇用はされたくなかった。
そこでどうしたか。
気づけばアウトローな道に進んでいった。
当時、どこかに所属することさえ面倒だったため、反社会的勢力や暴力団ではなく、一人で活動を展開した。
詳細は省くが、上手くやれば5分で2~3万円稼ぐことさえあった。
あとは芋づる式に稼ぎを増やし、生活には困らない程度で上手いことやり繰りしていたのである。
「このままでいいのか?」
自分で自分に問う。
アウトローでい続けることなど難しいなんてことは、とうの昔に知っていた。
だが起業する知恵があるワケでもなく、やめるワケにもいかなかった。
やるせない気持ちでSNSのホーム画面を開くと、そこには一通のメッセージが届いていた。
「英語教えて下さい」
TO BE CONTINUED