【連載】ブラジルの歴史をざっくり3つに分けてみた【ブラジルの歴史】
Bem vindo, amigos.
AKIRAです。
今回から【ブラジルの歴史】の連載が始まります。
記念すべき第1回目は「ブラジルの歴史をざっくり3つに分けてみた」と題して、ブラジルの歴史の大まかな流れを掴んでいきたいと思います。
ブラジルだけでなく、歴史の勉強では「難しい用語」と「年代」が連発し、多くの人たちがアレルギー反応を示します。
私の連載では、できるだけこれらの要素をなくし、簡単に説明するよう心がけましたので、安心して読み進めて下さい。
では、本題に入る前に、今回のキーワードを見てみましょう。
今回のキーワード
今回の3つのキーワードは
「ポルトガル」
.「王様」
「国民」
です。
これらは「ブラジルにおいて誰が国を治めるか」という点で重要なキーワードとなりますので、是非参考にして下さい。
では始めましょう。
①植民地期 (「ポルトガル」が国を治める時代)
ブラジルの歴史は植民地期から始まります。
世はまさに大航海時代 (ONE PI●CEみたい笑)。
ヨーロッパの国々が新大陸を目指し、航路を進める中、ポルトガルがブラジルを「発見」しました。
勿論、かつてそこには先住民がいましたが、歴史を書き記していませんでした。
ですから、ブラジルの歴史は発展された年、1500年から始まります。
覚えやすいですね。
はじめブラジルは、ポルトガルの資源を供給するためだけの植民地だったのです。
ですからこの時代を「植民地期」と呼びます。
②君主政期 (「王様」が国を治める時代)
次に君主政期が訪れます。
「君主政」とは文字通り、王様が国を治めることです。
つまりこの時代、ポルトガルではなく、王様が国を仕切っていました。
私たちが植民地化された国に住んでいたとしましょう。
良い待遇を受けられるとしたら満足ですが、大抵は搾り取られる立場ですので、不満がこみ上げてくることが想像できると思います。
それと同じように、植民地化されていたブラジルは不満の声を挙げ、ポルトガルから独立します。
そして新たに王様を立てて、君主政が始まるのです。
この時代を「君主政期」と呼びます。
③共和制期 (「国民」が国を治める時代)
そして共和制期となりました。
「共和制」とは「君主制」の対義語となります。
つまり王様がいなくなりました。
過去の歴史を見ても分かる通り、多くの国で君主制が崩壊するのは、王様に対し国民が不満を募らせるからです。
ブラジルも例外ではなく、君主制の後、国民が政治を始めるようになりました。
ここから現代までを「共和制期」と呼びます。
まとめ
はい。
今回はここまで。
「え?!これだけ?!」と思ったあなた。
これだけです笑。
「ブラジルにおいて誰が国を治めるか」という点に絞ると、「ポルトガル」「王様」「国民」という順を追っています。
そしてこれらの時代をそれぞれ「植民地期」「君主政期」「共和制期」と呼びます。
簡単ですね。
これでブラジルの歴史の大枠が見えてきました。
次回からはこの歴史を違う角度から見つめ直してみましょう。